伊坂幸太郎
1971年千葉県生まれ。東北大学法学部卒業。2000年、『オーデュボンの祈り』で第5回新潮ミステリー倶楽部賞を受賞してデビュー。
'04年、『アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)』で第25回吉川英治文学新人賞、「死神の浮力」で第57回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
'08年『ゴールデンスランバー』で第5回本屋大賞と第21回山本周五郎賞を受賞。近著は、『陽気なギャングは三つ数えろ (ノン・ノベル)』、『火星に住むつもりかい?』、『キャプテンサンダーボルト』(阿部和重氏との共著)
サブマリン 伊坂幸太郎 レビュー
『サブマリン』 伊坂幸太郎
前作『チルドレン』から、12年。みんなが待ってた、陣内さんが帰ってきた。
相変わらずの陣内さんと武藤さんたちと「少年」たちとの出会いや変化が私たちに与えてくれるものは前作に劣らずとっても大きく難しい。
それだけ複雑怪奇で巨大な問題でもあるにも関わらず、思わず吹き出してしまうような、電車で読むことはいい意味であまりお勧めできない物語であるようにおもいます。
もしも読んでいる人を見かけたら、その人の表情をちょっと見てみるとおもしろいかもしれませんよ。笑ったかと思えば、眉間にしわを寄せていたり。
伊坂ワールド全開、伊坂幸太郎に挑戦するならこれ!といわれる作品の続編はやっぱりすごかった。
最近は、ニュースで聞くことがなんだか多くなったような気がする少年事件。
テレビから流れるその「罪」の内容は多種多様ではあるけれど、ときに聞くに堪えない凄惨な事件も紛れているから恐ろしい。
なにより、驚愕するのはその事件を起こしてしまった人物の年齢だったりする。
そして、社会には、少年法なるものが存在し時々、あれ、甘いんじゃないの?なんて法律のことなんてなにもしらない素人でさえも思ってしまうことがある。
本当に見つめなくてはいいけない事柄には気付かずに、論点のずれた談義を交わしてしまうことも。
意味不明な陣内さんと苦労の絶えない武藤さんが相手にするのは、そういった少年たち。
やってしまったことの大きさはそれぞれであるが、罪を背負った少年たちであることには変わりない。
彼らが向き合っていく「少年」たちは、犯罪者であるまえに子供であった。
陣内さん、武藤さんと一緒に、となりにいるつもりになって子供たちと向き合っていくと、いままでの自分が抱いていたものが陳腐でどうしようもなくちっぽけに思えてくる。
ああ、私は何も知らないで勝手なことを言っていた、と。
彼らが罪を犯すようになってしまった背景も、消えない罪を背負って生きていかなければいけない子供の痛みもわたしたちは何も知らない。
向き合うこともしないで、世間に溢れる雑音に同調して、何も変えようとなんてしないで無責任な言葉をただ垂れ流していただけなんだと。
一歩間違えれば、何かの選択をたがえていたら自分がその立場にいたかもしれないなんていう可能性なんて微塵も考えずにいたことに、打ちのめされて自分が立っているのも辛くなる。
私よりもずっとずっと重いものを背負って、生きていこうと償おうとしている少年たちに反対に励まされて、引っ張ってもらっているから、本当に情けない。
伊坂幸太郎作品を読むたびに、私は鈍器のようなもので毎度毎度、ぶん殴られているようなきがするが今回は鈍器なんかではなくて、陣内さんの拳だった気がする。
何が罪で、何が罰なのか。
善意ってどんなものだろうか。
言葉はたくさん溢れているけど、その言葉がもつ意味を本当に理解して使えているのか、ときどき不安になる。
陣内さんの行動は本当に意味不明でとんちんかんでおもしろい。
だけど、全部「めんどくせえ」だなんていいながらもなんだかんだ全力でぶつかってきてくれる人が使う言葉には、行動には説明なんていらないものすごい力が溢れている。
だからこそ、きっと陣内さんは奇跡を起こせる。
社会のシステムなんてものは、結局は人間が作っているものなのだから何もかも不完全だ。
それでも、不完全なんだから仕方ないなんていってたら、あきらめてたら何も進まない。
たとえ、その方向が誤った方向でも進まないよりはましかもしれない。
仮に間違いでも得るものがあれば、次に進むことができるのだから。
生きていれば、誰でも大なり小なりの傷を負う。
それは大人も子供関係ないことだと思う。時間がかさぶたにしてくれる傷もあるだろうけど、傷薬がないとずっと膿んだままの傷だってある。
傷だらけの心に特効薬の陣内さんを持ってくるのはどうだろうか。
きっとものすごくしみるだろうけど、自分を苦しめる憎らしい傷から、誇れる勲章、前に進む糧になるはずだ。
決して消えることは無いけれど、ぐじぐじ膿んで嫌な気分にさせるしかないものを放っておくよりもしっかりと刻み込んだほうがきっといい、そんな風に思う。
サブマリンの購入はこちら
カテゴリ一覧
【新着記事】