江國香織
1964年東京生まれ。
1987年『草之丞の話』で毎日新聞社主催「小さな童話」大賞を受賞。
2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません (集英社文庫)』で山本 周五郎賞、2004年『号泣する準備はできていた (新潮文庫)
』で直木賞を受賞。
「409ラドクリフ」(1989年フェミナ賞)、『こうばしい日々 (新潮文庫)』(1991年産経 児童出版文化賞、1992年坪田譲治文学賞)、『きらきらひかる (新潮文庫)
』(1992年紫式部文学賞)、『ぼくの小鳥ちゃん
』(1999年路傍の石文学賞)、『が らくた』(2007年島清恋愛文学賞)など作品多数
きらきらひかるレビュー 江國香織
きらきらひかる (新潮文庫) 江國香織
私はまだ、本物の恋愛というものを知らない。
まだ長いとも言えない人生のなかで、思いを寄せた人も寄せてくれた人も何人かはいるけれど、この物語を知った今、私は堂々とそれを認めようと思う。
結婚して10日目の夫婦。
誰が聞いても、幸せいっぱいの新婚さんを目に浮かべるだろう。
この物語の主人公たちがまさにそれなのだ。
だけど、世間でいう「普通」の夫婦ではない。
アル中の妻と同性愛者で恋人持ちの旦那の新婚夫婦なのだ。
これだけ聞けば、ちょっぴり悲しいけれど愉快でおもしろい、電車の中で読んでいたら笑いが止まらないかもしれないちょっとおかしくてかわいらしい小説を想像するかもしれない。
そんなイメージをもって手に取れば当然のごとく裏切られる。
いや、豪快に、という表現のほうが正しいかもしれない。
同性愛という最近、すこしずつ社会に浸透し始めて徐々に望まれる方向に進み始めた事柄とも向き合うきっかけをこの物語は提示している。
そして、人を愛するということの本質を、瑞々しいというにふさわしい美しい言葉たちが読者に示してくれるのだ。
ネットの復旧でありとあらゆる分野の情報が溢れかえり、さまざまなものが電子化した現代。
電話という声と声をつなげる連絡手段は、最近の若者からはすこし遠くの存在になったような気もする。
かわりに、音を伴わない文字のみの会話が主流になった。
そこには、声という自分自身の身体を用いてたしかに紡いだもの、あるいは目と目をみて、そこに姿を感じて、相手に向けて発するメッセージとはだいぶ異なるものが、だ。
昔は、手書きであった本が活字という無機質なものに変わったように、紙媒体ではなく電子書籍のみの世の中にもなっていくかもしれない。
時代が変われば、文化も変わる。恋愛もその形を変えていくのは当然のことだ。
だけど、文化が持つ本質が変わらないように、恋愛もその本質を変えることはない。
移り行く時代の中では、その事実に気付くとことが時として難しい。想いを伝える手段は、遠い昔、近い昔と比べてると格段と簡単なものになった。
伝えることが簡単になってしまったことは運命の糸を引き寄せることを簡単にしたのかもしれないけれど、それを簡単に絡ませる原因にもなったといえるのではないだろうか。
そうして、絡まった糸の塊が大きなるにつれて強く結びついていたはずの相手さえ見えなくなり、知らぬ間に自ら糸を断ち切ってしまう人もいる、それが現実のような気がする。
この小説には恋愛小説の女王である著者のあとがきがある。
物語を産む母なる人がこの純粋な愛を紡いだ物語に託したメッセージをあなたはどう受け取るのだろうか。
きっと、物語を織りなす登場人物のうち、誰に心を寄せて飲み込んでいくかによって、その都度、言葉は色を変えていくのだろうとおもう。
なんども開けば、表紙は破れたりあせたり少しずつだけど確実に、残念ながらくたびれていく。
だけど、物語が持ったひかりはけっして褪せることなどはない。持った強さを決して失うことなく、存在していてくれるのだ。
そうして、真っ暗な明日を、すこしだけ希望のあるものに変えてくれている、そう思わせてくれる。
どうか、笑子が、睦月が、紺が、みんなの日々ができるだけ長く続きますように、そう祈りたくさせるのだ。恋をすることは、誰かを愛することはきっと予想なんかできないほどに傷つくのだろうと思う。
傷つくのは、痛いし苦しいから嫌だ。だけど、きっとその人に出会ってしまったらきっとそんな痛みさえも特別なものに変わってしまうのだろうとおもうとすこしだけ怖い。
けれど、それを上回るだけの希望も夢もある。
いつか、私もそんな気持ちになれたらいいな、と思わずにはいられない。
まだ恋を知らない人も、恋愛の酸いも甘いも苦みも知った人も全ての人に味わっていただきたい、そんなお話です。
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